ありむら国俊 後援会 in びわ湖大津プリンスホテル
ありむら国俊 後援会の南津田町役員会を
びわ湖大津プリンスホテルで開催して下さいました。

今さらですが、プリンスホテルと言えば、堤康次郎氏。
ピストル康の異名を持つ豪快な人だったと生前の祖母から
子どもの頃に聞きました。
私の生まれた年(東京オリンピック)に亡くなられた、堤康次郎氏が
八木荘村(現 滋賀県愛荘町)の出身で、そこで酒造業を営む
祖母(藤居静子)と同郷のご縁がありました。
興味深いエピソードは、西武グループの創始者であり、
第44代衆議院議長ともあろう堤氏が、
「私は衆議院選で当選出来ても、村長選では負ける」
と祖母に漏らしていたそうです。
自分の住む地域が小さすぎて、村内の大きな地域の候補には、
数で歯が立たないとの理由だったそうです。
東京オリンピックのために建設を計画した東京プリンスホテルの完成を
見ることが出来なかったわけですが、西武グループも時代とともに変遷し、
現在は組織も随分変わりました。
今日は、滋賀県を意識しつつ、湖周道路から目前に面する偉大な琵琶湖を
大型バスから眺めつつ、一味違った一日を過ごすことが出来ました。
後援会の役員の皆様、有難う御座いました。
びわ湖大津プリンスホテルで開催して下さいました。

今さらですが、プリンスホテルと言えば、堤康次郎氏。
ピストル康の異名を持つ豪快な人だったと生前の祖母から
子どもの頃に聞きました。
私の生まれた年(東京オリンピック)に亡くなられた、堤康次郎氏が
八木荘村(現 滋賀県愛荘町)の出身で、そこで酒造業を営む
祖母(藤居静子)と同郷のご縁がありました。
興味深いエピソードは、西武グループの創始者であり、
第44代衆議院議長ともあろう堤氏が、
「私は衆議院選で当選出来ても、村長選では負ける」
と祖母に漏らしていたそうです。
自分の住む地域が小さすぎて、村内の大きな地域の候補には、
数で歯が立たないとの理由だったそうです。
東京オリンピックのために建設を計画した東京プリンスホテルの完成を
見ることが出来なかったわけですが、西武グループも時代とともに変遷し、
現在は組織も随分変わりました。
今日は、滋賀県を意識しつつ、湖周道路から目前に面する偉大な琵琶湖を
大型バスから眺めつつ、一味違った一日を過ごすことが出来ました。
後援会の役員の皆様、有難う御座いました。