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原稿は締め切り前に。

お世話になっている方から教わったことに、

「事前の準備」は「危機管理」。
しっかり取り組めば成功すると。

日頃からバタバタしがちの私も
落ち着いて準備する時間が必要です。

ところで、およそ月に1回のペースで、滋賀報知新聞社の
県政NOWに寄稿していますが、本日、午前中が締め切り。

うっかり、そのことを忘れて。
昨晩の22時頃からキーボードに向かう始末。

今月は、日本にとって忘れられない8月15日があるので、
表題は、「奇襲になってしまった、真珠湾攻撃」として。

夜に書くラブレターはやめた方がいいと言われますが、
まったくその通りで、

今朝、目覚めて内容見たら、やはり、、、。
表題の内容を約1000文字にまとめるのは困難。

表題と路線は、ほぼ変えずに、もう一度、ざっと綴り、
打ち出し、見直し、修正し、打ち出し、見直し、修正し、
打ち出し。。。。。。。の繰り返し。

あれ??
明日は我が身とは正にこのことです。

それは、
現地時間 1941年12月7日 午前。
ワシントンにある日本大使館内において、
関係者がタイプライターを囲み、必死で
打ち出している姿を彷彿としました。

滋賀報知新聞社宛の締め切りと、日本政府による米国への
宣戦布告の公文書とは、まったく別次元の雲泥の違いですが。

日本から届いた暗号を解読して、日本語に変え、英語に変え、
見直し、修正し、見直し、修正し、見直し、修正し、
いよいよ本番、タイプライターで打ち出し → インクなので、
修正が効かない、用紙変えて、また打ち出し。。。。
それも膨大な字数となれば、、、時間がかかります。

日本大使館員の焦る気持ちが痛いほど理解できます。
手も震えます。

が、これも「事前の準備」は「危機管理」。
だったのかもしれません。

結局のところ、タイプライターをあきらめて、手書きで、
日本政府が指定する時刻までに、ハル国務長官に渡せば、
奇襲の汚名を着せられることにはならなかった。。。

ところで、
私の原稿は?というと、ギリギリ午前の締め切りに
間に合いメールしました。8月11日に掲載されます。

午後は、物流センターの竣工式へ。
何もかもが大スケール。驚きと共に技術力の高さに
改めて感心しました。

と同時に、ここでも
竣工式の「事前の準備」は「危機管理」。
さすがに完璧でした。

夕方は、近江八幡市に戻って、県と市と協議事項。

夜は会食なしの勉強会と続きました。

それにしても暑いです。
ラジオも、「命の危険に関わる暑さ」とアナウンス
されています。

気を抜くと、簡単に熱中症になるので
何卒、お気をつけください。




もっと くにとし!
薩摩藩士
西郷隆盛・大久保利通の
幼なじみで共に精忠組を
立ち上げ明治維新を駆け
抜けた。

長男-有村俊斉
次男-有村雄助
三男-有村次左衛門
四男-有村國彦
の曾曾孫。

長男の有村俊斉は
のちの海江田信義
(子爵)

明治23年
渋沢栄一と同僚の
貴族院議員

奈良県知事
枢密院顧問官

娘の鉄子は日露戦争
連合艦隊司令長官
東郷平八郎の妻

水戸藩+薩摩藩からは
次男の有村雄助
三男の有村次左衛門が
桜田門外の変に参加。
享年26歳、23歳

有村國彦が家を継ぎ
有村國太郎
有村國秀
有村國宏(私の父)
の代で滋賀に移住

有村國俊 経歴
東京都生まれ

近江八幡市議会議員2期
近江八幡市議会副議長
滋賀県議会議員3期

文教・警察常任委員長
文化スポーツ特別委員長
土木交通・警察・企業
常任委員長
議会代表 監査委員

自民党滋賀県青年局長
自民党滋賀県組織委員長
自民党滋賀県副幹事長
自民党滋賀県政調会長
自民党岡山支部長
自民党近江八幡連協会長

滋賀県テニス協会副会長
安土城復元協議会顧問
関西圏政治研修会
(2府4県)副代表
日野川改修期成同盟顧問
滋賀ロケーション
オフィス所属
数々のドラマに出演
タクシードライバーの
推理日誌など

愛知川地域
水源対策協議会 顧問
日本舞踊「穂村流」顧問
日本拳法「龍皇会」顧問
平成防犯見廻り隊員
岡山小学校PTA会長

南津田町『眞念寺』の
長女と平成8年に結婚。
男子跡継が不在のため
猛勉強して試験に合格
現在は住職

妻、子ども2人、義母
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