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「D0❗️とにかくD0❗️」

お世話になっいる、学校法人ヴォーリズ学園から、この度編纂された教育事業100年小史を頂戴しました。ヴォーリズ先生と満喜子先生の仲睦まじい写真を見るにつけ、お二人の品格を感じずにはいられません。
満喜子先生の口癖は、「DO❗️とにかくD0❗️」。100年経っても、これからもそうなのでしょう。

今日は彦根市、草津市内で打合でした。
来週の監査業務は、かなりハードになりそうなので、しっかり事前調査していきたいと思います。

一昨日の滋賀報知新聞に寄稿した内容を下記します。

「大阪都構想 滋賀県の浮揚に有益かで判断」 ありむら国俊

 大阪市民による2度目の大阪都構想を巡る住民投票は、5年前と同じく大阪市の存続が選択されるに至りました。日本の住民投票の歴史に残る激動の1カ月でもありました。

 大阪都構想は「大阪市の案件なので自分には関係ない」というお声もありますが、私は国内に2カ所の都が存在することによって、首都機能が分散される可能性が高まり、関西勢の滋賀県が有益性を打ち出すチャンスと捉え関心を寄せていました。

 さて、松井市長は任期満了で政界の引退を改めて表明し、意外だったのは吉村知事も任期中に進退を考えるとして同時期に政界の引退を示唆したことです。

 余談ですが、明治維新直前の混沌とした幕末、1860年に私の4代前の有村雄助(兄26歳)・有村次左衞門(弟23歳)が祖国と薩摩藩のために命を投げ打った関係から、どのような姿勢で「大阪維新の会」とネーミングされたのか設立当初は疑問も抱きました。しかし、その後は破竹の勢いで改革を進め、最後は自ら身を切る覚悟を決めた橋下市長(当時)も松井市長も現代の武士(もののふ)と思います。

 ところで、大阪都構想は関西州・道州制を目標としたものですが、遡ること7年前、嘉田知事(当時)と私が県議会議場で珍しく意見が一致したのが「京滋合併」の議論でした。(滋賀県議会HP議事録 有村国俊 平成25年6月分)

 広域自治体(京都府・滋賀県)が実現すれば国際競争力を高め、大阪府と互角にわたり合うポテンシャルを発揮すると考え、懇意にしていた京都府の山田知事(当時)と府庁の知事室で一対一の話し合いを数回行いました。

山田氏は「京滋合併後の本庁は大津市に置いてもいい」という趣旨の発言を京都府議会で表明して下さいました。私の本音は、大津市ではなく少しでも大阪府から離れた場所、地元の近江八幡市や竜王町がベストです!

 何れにせよ、物理的に琵琶湖がある事情を勘案すれば、滋賀県内19市町を4特別区(湖東、湖西、湖南、湖北)とする議論がいつか必ず起こるはずです。

 そろそろ、道州制の議論も国会で再燃して頂きたいですし、滋賀県の浮揚のために新たなターニングポイントも探っていきたいと思います。

もっと くにとし!
薩摩藩士
西郷隆盛・大久保利通の
幼なじみで共に精忠組を
立ち上げ明治維新を駆け
抜けた。

長男-有村俊斉
次男-有村雄助
三男-有村次左衛門
四男-有村國彦
の曾曾孫。

長男の有村俊斉は
のちの海江田信義
(子爵)

明治23年
渋沢栄一と同僚の
貴族院議員

奈良県知事
枢密院顧問官

娘の鉄子は日露戦争
連合艦隊司令長官
東郷平八郎の妻

水戸藩+薩摩藩からは
次男の有村雄助
三男の有村次左衛門が
桜田門外の変に参加。
享年26歳、23歳

有村國彦が家を継ぎ
有村國太郎
有村國秀
有村國宏(私の父)
の代で滋賀に移住

有村國俊 経歴
東京都生まれ

近江八幡市議会議員2期
近江八幡市議会副議長
滋賀県議会議員3期

文教・警察常任委員長
文化スポーツ特別委員長
土木交通・警察・企業
常任委員長
議会代表 監査委員

自民党滋賀県青年局長
自民党滋賀県組織委員長
自民党滋賀県副幹事長
自民党滋賀県政調会長
自民党岡山支部長
自民党近江八幡連協会長

安土城復元推進協議会顧問
関西圏政治研修会
(2府4県)副代表
日野川改修期成同盟顧問
滋賀ロケーション
オフィス所属
数々のドラマに出演
タクシードライバーの
推理日誌など

愛知川地域
水源対策推進協議会 顧問
日本舞踊「穂村流」顧問
日本拳法「龍皇会」顧問
平成防犯見廻り隊員
岡山小学校PTA会長

南津田町『眞念寺』の
長女と平成8年に結婚。
男子跡継が不在のため
猛勉強して試験に合格
現在は住職

妻、子ども2人、義母
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