関ヶ原の戦いの布陣
用事があって岐阜県に赴きました。
少し時間に余裕ができたので、関ケ原インターを降り、ほど近い関ケ原ウオーランド「1964年(私が生まれた年)にオープン」へ立ち寄りました。天下分け目の関ケ原の戦い(1600年9月15日)のエリアだけに歴史好きの私としては特別な感覚です。
子供時分に両親と来たときは、とても広大な敷地(山)の至る所に無数の戦国武将コンクリート像があったと記憶していましたが、今日はそれほど敷地が大きく感じませんでした。やはり子供と大人では広さや範囲の感じ方が異なるようです。
施設概要によりますと200体以上のコンクリート像があるそうで。それが15万体となるとやはり凄まじいですね。東軍に寝返ってしまった小早川秀秋の陣もきちんと確認。太閤様にあれだけお世話になったのに。。。
いつも不思議に思い未解決なことは、どうやって戦いの集合場所と時間を決めたのか?という事と、全国から武将と家来が集まって来た時の(15万人)陣の張り方、敵味方双方にとって場所取り等の段取りがとても難しいのではないかと、食料飲み水は???などです。